あなたのすぐそばにいるかも【指名手配犯】

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こんばんわやよいです。

日本の警察署、交番に貼ってある指名手配ポスター

日本に住んでいる方は一度は見たことがあると思います

しかし実際何した人なの?と感じている人が多いと思います

今日は昔から指名手配のポスターに載っていている2人が何をして指名手配されることになったのか解説していこうとおもいます

連続企業爆破事件「桐島 聡」

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https://te-humming.com/extremist-20200825/

 桐島聡は1974年8月から1975年5月にかけて日本の企業を断続的に爆破した事件(連続企業爆破事件)に関与した疑いで全国指名手配されています

 当時新左翼の過激派である「東アジア反日武装戦線」という組織に所属していました

東アジア反日武装戦線とは

 東アジア反日武装戦線は、

 1972年、過激的な反日思想をもったグループで

  1. 資本家に苦しめられている被抑圧民衆を、絶滅した二ホンオオカミになぞらえた【狼】
  2. 国家も資本家もない理想の世界を目標とし、国家や資本家に立ち向かう牙になぞらえた【大地の牙】
  3. 自らの小さな組織の猛毒で、大きな建設資本を倒すサソリになぞらえた【サソリ】

の3つのグループで構成されています

 桐島聡は【サソリ】に所属していました

東アジア反日武装戦線の活動

 彼らの活動は

  1.  1974年8月14日、昭和天皇のお召し列車を鉄橋ごと爆破しようとする(人に目撃されたことで未遂におわる)
  2.  1974年8月30日、三菱重工業東京本社ビルを爆破(三菱重工爆破事件)
  3.  1975年5月までの間、日本国家をアジア侵略の元凶とし、加担しているとされた企業を断続的に爆破(連続企業爆破事件)

と次々と爆破を行っていきました

主要メンバーの逮捕

 1975年5月19日、主要メンバーが一斉に逮捕されますが、連続企業爆破事件に関与していた桐島聡は逃亡、現在まで全国指名手配されることになったのです

 現在の年齢は67歳なので顔、体型が大きく変わっていると思われます

群馬一家3人殺害事件【小暮 洋史】

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http://crypto-coin.tokyo/2018/11/08/kogurehiroshi/

 小暮洋史は、1998年1月14日、群馬県群馬町(現在の群馬県高崎市)で電気工事業を経営していた男性A(当時48歳)とその妻B(当時47歳)、男性の母親C(当時85歳)の一家3人を殺害した疑いで全国指名手配されています

 群馬県警による捜査の結果、以前から被害男性の長女に好意を持ち、電話をかけたり、車でつけまわすなどのストーカー行為を繰り返していたとみられています

事件の概要

 1996年トラック運送会社で勤務する小暮は、配達先であるドラッグストアに勤務する被害男性Aの長女Dと出会います

 小暮はDに一方的な恋愛感情を抱き、食事に誘うなどをするが断られたことから電話を頻繁にかける、車でつけまわす等のストーカー行為を繰り返していました

 一旦はストーカー行為がおさまったものの事件前にはストーカー行為を再開していたとらしいです

ストーカー行為がエスカレートし、、 

 1998年1月14日被害男性Aの家に侵入した小暮は被害者宅にいたAの母親Cを絞殺

 その後帰宅したAの妻Bを背後から刃物で刺殺、さらに帰宅した被害男性Aの胸を刃物で刺殺

 わずか2時間足らずで3人を殺害した小暮は、現場から立ち去らず、長女Dの帰宅を待つことにします

 知らずに帰宅した長女Dを自宅に閉じ込め、被害者宅でDと会話したのち車で国道50号を水戸市方向に逃走したとされています

 犯行後、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で小暮の愛車「日産・シルビア」が目撃されましたがその後の足取りは現在まで不明となっており、群馬県警察は情報提供を求めています。

結論

 現在もこの二人は逃亡を続けています

 国外に逃亡しようが、顔を変えて普通の生活をしようが犯した罪が消えることはありません

 一日も早く逮捕、法の裁きを受けてもらいたいと思う限りです

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