こんばんわやよいです
今日は日本最大といえる立てこもり事件「あさま山荘事件」を紹介します
あさま山荘事件とは

あさま山荘事件は1972年の長野県の軽井沢町にある「浅間山荘」にて管理人の妻を人質に取り立てこもった事件です
犯人グループは当時数々の犯罪を繰り返し逃走を続けていた「連合赤軍」のメンバー5人
当時のニュース中継は民放、日本放送協会を合わせるとなんと89.7%!
日本の全国民がその事件の行方を見届けました
それでは連合赤軍とは何か、なぜ事件は起きてしまったのか紹介していきます
連合赤軍とは

犯人グループの連合赤軍は1971年から1972年にかけて活動した日本の新左翼組織の一つです
連合赤軍は、共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と日本共産党革命左派神奈川県委員会(革命左派)が合流し結成しました
当時赤軍派と革命左派は「大菩薩峠事件」や「よど号ハイジャック事件」などで幹部クラスが逮捕、国外逃亡、死亡したりして弱体化していました
赤軍派は強盗事件で資金を得ていたため活動資金はあった武器がありません
一方革命左派は、銃砲店を襲撃し、武器はあったが資金がありませんでした
二つの組織はお互いの利害一致からお互いをカバーするように統合がされたのです
連合赤軍の活動
1970年代、連合赤軍として統合される前の赤軍派と革命左派は、連続銀行強盗や、銃砲店襲撃等の凶悪犯罪を行い、逃走を続けていた
警察はこの事態に対し、徹底した職務質問や一斉捜査を行いました
警察に追われていた両派のメンバーは群馬県の山岳地に拠点「山岳ベース」を構え、連合赤軍を結成します
山岳ベースを拠点とし、潜伏を続けていた連合赤軍であったが、警察による山狩りと外部からの援助が断たれたことにより組織は徐々に行き詰っていきます
山岳ベース事件

警察による包囲網により他党派から遅れをとっていた赤軍派、革命左派両派はこの事態を打破するため、山中で合同の軍事訓練、会議を重ねた
この頃から新たに結成されたグループ「新党」はメンバーに対する批判、自己批判をエスカレートさせ、「総括」とよばれるメンバー内での集団リンチを行った
この集団リンチ事件が「山岳ベース事件」である
「総括」は、殴って気絶をさせ、目が覚めた時には別の人格に変わり、共産主義者化された真の革命 戦士になれるという持論を展開させ、これは暴力ではなく援助であるとした
このリンチ行為により、多数の死亡者がでたが、連合赤軍の最高幹部森恒夫らは、「総括できなかった敗北死」とし方針を変えないことから死亡者が続出、結果的に組織の弱体化につながった
立てこもり事件発生

警察の包囲網を脱出するため、山間部の山荘「さつき山荘」に侵入したメンバーは食事をするなどして休息していた
そこへ捜索活動をしていた長野県警機動隊の一個分隊がこの建物に人がいることを察知、建物から出てくるように呼び掛けたところ、メンバーの一人坂口弘はこれに従わず銃を発砲
これに機動隊は銃で応戦、銃撃戦となった
メンバーは銃を乱射し、「さつき荘」を脱出し、「浅間山荘」に侵入、室内に一人でいた管理人の妻を人質にとった
メンバーは、上空のヘリや、包囲していた警察車両に発砲を繰り返し、なんの要求をせず徹底抗戦した
追い詰められる犯人
警察による、警察による包囲、親族による呼びかけ、不眠に陥るように深夜に銃撃音を録音したテープを流すなどの擬音作戦を行い、犯人グループを追い詰めていく
突入作戦開始

2月28日、最後の投降勧告後、機動隊が突入、銃撃戦が始まった
同時に警察は、クレーン車で吊った巨大な鉄球で山荘の壁を破壊、空いた穴に放水車による放水を行った
機動隊員は放水とガス弾による支援を受けて、犯人グループが立てこもる山荘3階に突入を開始
突入した部隊は、バリケードを突破し犯人グループが立てこもる部屋に接近するも犯人グループの猛攻によりなかなか突入できずにいた
作戦開始から1,2時間後に鉄球攻撃及び放水を指揮していた警察幹部の殉職、山荘内部で突入作戦を展開していた中隊長が被弾する等により作戦は難航した
ついに制圧

作戦開始から7時間半後の午後5時半、放水による犯人の立てこもる部屋の壁を破壊する作戦が取られた
午後6時10分、警視庁第九機動隊長からの一斉突入の命令が下り、数分後犯人を全員検挙人質は無事に救出された
事件後

あさま山荘事件により、連合赤軍は幹部が全員逮捕され、事実上崩壊しました
逮捕後の調べで、仲間内によるリンチ事件(山岳ベース事件)が発覚し、世間で強い衝撃を与えました
あさま山荘事件、山岳ベース事件にて崩壊した連合赤軍ですが、前身組織であった「赤軍派」は世界同時革命のための拠点として朝鮮やパレスチナに一部のメンバーを派遣し活動をしていました
海外で活動をしていた赤軍派グループ「日本赤軍」はマレーシアにて「クアランプール事件」を起こし、あさま山荘事件の犯人坂東國男を釈放させ、
さらに日本赤軍はバングラデシュにて「ダッカ日航機ハイジャック事件」を起こし、服役、拘留中の犯人9人の釈放を要求、6人を釈放させました
現在も日本赤軍メンバーは指名手配とされています
おしまい
あさま山荘事件は日本でも数少ない銃を使った立てこもり事件であり、今でも当時のメンバーがメディアに登場したりと語り継がれている事件です
現在の日本ではこれほど過激な運動をする活動家は今のところありませんが、いつ事件がおこるかわかりません
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